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メッセージスペースです。
2007/03/15
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2007.03.08 木曜日
あたしはいつもの睡眠剤を飲んで、1時間半後燃えるような体温で目が覚める。しかも、たった1時間半の間である。あたしの体全身の汗腺が涙腺となってあたしは泣いていた。
昨日、病院で宣告を受けた。頸椎の一番目の神経が死んでいる、という。このまま手術をしないと、どんどんしびれと傷みで耐えられなくなるという。だから医者は弱みをついて手術しようと誘惑をする。手術を嫌がっている患者は、1年後には寝たきりで動けなくなるという。
でも、あたしは昔の手術した時のつらさは、術後6年経ってやっと心が少し元気になり4年経ったところだ。だけど医者は「僕の手が動いている間の方がいいと思う。」という。
しかしあたしはすぐに決める事ができない。もし第一関節を固定すると、しびれや痛みは緩和されるかもしれないが、それは決して確実な事ではない。術後のデメリットを考えると即答で返事はできなかった。その前に医者の悩みを聞き、不安を聞いていると、診察室を出る時に、反対にあたしの方がドクターに「お大事に」っていう言葉を発する。
あたしがドクターの言う通り、1年で身動きできなくなったとしても、その事を思い泣いている暇もない。生活を送るためには、次々としがらみがあたしをがんじがらめにする。
あたしは親を捨てた。兄弟も捨てた。母とは三度の別れをし、兄は兄の遺骨を不本意ながらもあたしに預けた。養父は自分の妻と義理の息子が同じ墓に入ってくのはすごく反対をした。その時の住職の機転で何とか解決したが、きっと今も自分の入る場所がないと養父は心の中で思っているだろう。しかし、その住職は養父に墓を開けさせ、骨壺から母と兄の骨を出し、それに水をまき、養父にかき混ぜる事を命じた。権力に弱い養父はしぶしぶそれに従い、自宅に帰っていった。それを一部始終見ていたあたしは、まるで喜劇を見ているような錯覚にとらわれ、養父の車が去ったあと笑い転げてしまった。しかも、住職のコメントは「骨は水によって溶けるのであと何人でも入れるよ。」と言ってた。「そうかあ、じゃあ骨壺っていうのは、骨が土に還るって事を阻止しているだけなんだ。」と思った。その時の兄の遺骨はうっすらと紅色をしていた。それを墓の中で自分の手で混ぜている養父の上に、桜の花びらが飛んできていた。坂口安吾の小説そのものの鬼気感を頭に描きながらも、笑いを噛み締めることはできなかった。そして泣くこともできなかった。それは今も続いている。今から目から出る水分が、家から出て約30年、あたしは泣く事を拒否した。どんな苦しいときも、人の裏切りにあった事も、決して涙を出して人に訴える事はなかった。人間の関係を上手く作れなかった.自分の責任だと思っていた。だけども、この1、2年体中が泣いている。細胞の一つ一つから涙を出している。でも目からは一滴の涙も出ない。アンバランスな精神状態なのかもしれない。もしこのまま主治医の言う通りに1年後には寝つくようになるのなら、その後の事を考えなければならぬ。めそめそ泣いている場合じゃない。次の階段を降りて新しい生活を築いていかなければならぬ。そして、動ける間に楽しみを壊すことなく、自由に生きていきたいと思う。1番目の頸椎が死んだとしてもその後の6個の関節は固定しているわけだから、その分生きていかなくてはもったいない。今の肉体的な痛みよりもこれから先、年々大きくなってくる痛みは確実なのだ。自分で出来る事をもっとわがままに主張しないと、詩の一つも創れなくなるのは寂しい。その分周りの人間関係にどう自分の立場を表現していくのかが大きな課題になっていくのだろう。本来のあたしの姿に戻らなければならない。事務仕事は嫌。役所の交渉も嫌。人と会うのも嫌。
しかし、それらの義務を事細かく真剣につき合わなければ今のあたしの生活はない。だから、あたしは夜中に全身で泣く。
泣いて泣いてまた着替えてさっぱりと何事もない顔をして、日常の1ページをめくる。