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最近よんだ本 
2008/04/18 /17:38

 私は猫と暮らして40年近くになる。その間、病気や事故、家出などの猫たちが居て現在9年目の猫と5年目に入る猫と同居している。前々から猫の絵を描きたいと思う気持ちはあったが、なかなか上手くいかず、パソコンで描こうと挑戦してみたけれど、それもままならなかった。近年携帯が普及し、そしてカメラ付きが主流になってきたのをきっかけに携帯で。私は思い直す。携帯の写メールの機能で思い立つまま、携帯で写す事にした。家の中の物、グラス、ポット、食事、猫のポーズ、などなど。身の回りの物すべて、携帯で瞬間瞬間を撮るようになった。

 昔テレビでこの作者岩合さんの海の動物シリーズを観ていた。雄大な海の中で泳ぐほ乳動物達。画面を通していてもカメラの優しさが滲み出ていた。これは長年かけた時間と作者の動物たちに対する愛情からだと思った。
この近年、本屋でよく見るのは岩合さんの海外で撮った猫、国内で撮った猫の写真集をよく目にする。偶然にもあとづけを読むと、それが岩合さんだったりする。
 「猫を写す」この新書の中には細かく猫を捕らえ、自然体の猫をどういう風に写していくかということが書かれてあった。何時間も何日も猫が集まる場所に待機し、猫時間にレンズを合わせ、いきいきした表情を切り取っていく。
モノクロで写っているノラが、さすがにこの一流のカメラマンにかかると、気ままな猫と言いながら自然にカメラポーズになるらしい。
 猫シンパの私としてはページを捲る毎にわくわくしたり、感心したり、これから携帯カメラを使う折にもとても学ぶ事が多かった。現実には大きいカメラもデジカメも使える状態でない私にも、とても楽しく読むことができた。
我が家の猫たちは私の気持ちも分からず、好き放題に暮らしてる。その一瞬を自分なりに切り取り、楽しんでいる。もう少しと心の中で岩合さんの作品をイメージして写している。もちろん足下にも近づけないが、気分はすっかり岩合さんになっている。

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私の中のおばけたち 
2007/11/10 /22:18
おばけや妖怪や幽霊なんて大嫌いだ。小さい時からとてもこわかった。別に人里離れたところに暮らしていたわけではない。ラジオで聴いた落語のおばけや、講談師の話術によって、番長皿屋敷のお菊が井戸から上がって来て、1まーい、2まーい、3まーい、、、と何回も数えるところも、また、映画の四谷怪談も、漫画の蛇少女も、こわかった。今もその画面を思い出すたびに、のどから「ぎゃっ」という声が出そうになる。

 兄はよく私をおどかした。突然背中を小突かれては「ぎゃっ」とさけぶ私。もっと小さい時、母の背中におぶわれて「はい、かわいい人形よ」と目の前に見せられた市松人形。それを見ても「ぎゃっ」と泣いていた。本当のおばけではないのに、一歩も歩けない私にとっては、動物をはじめ、動くものすべてが恐怖であり、おばけと同じこわさを持つものであった。
 
 母と観た映画の中で、ろう人形が溶けていくのがあった。
中には人間が入っているという設定をあたしは知らなかった。物語の最終には、ろう屋敷が火事になり、室内にたくさん立っていたろう人形が、炎によって顔がくずれていき、その中から本物の人間がだんだん現れる、という場面にも「ぎゃあー」と騒いだ憶えがある。今から思うと情けない次第だが、心底こわい思いをした。

 だんだん大人になって、おばけの映画を観ることもなく、ファンタジーやドキュメンタリー、時には美しい純愛モノミステリーなどを観るように変わっていった。

 大人になって気づいたことは、おばけとは異形のものではなく、あたしを含めて、人間の心の中にもたくさんのおばけが住んでいるように思えてきた。
 女性は服装と化粧で心を化かし、男性は言葉と行動で人を動かす。そんな人間同士の方が、キツネやタヌキよりも、とてもこわいような気がする。

 我が家には3匹の猫がいるが、まだまだしっぽは3本に分かれてはなく、化け猫の域には達していない。おまけに目に見えない座敷童もいて、時々いたずらをする。ガサガサと音がしても「ああ、あの子もいるのね」とつい微笑んでしまう。そんなおばけならどの家にいてもいい。人の心を和ませるおばけの存在なら、あたしは大歓迎だ。

 今一番こわいのは、自然災害のおばけである。さらにこわいのは、災害救助をしようとしながら、いつのまにか他の国の戦争ごっごに救助隊を派遣している自国の動きが、大きなおばけのように見えてきて、私はまた「ぎゃっ」と言いそうになる。
 だが、そんなおばけなんて世界中にいるのだろう。あ〜やっぱりこわいなぁ。
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9月の終わり 
2007/09/29 /11:06
八月の末から、応募3作送った。三重県と四日市短詩形そして四日市文芸賞は締め切りの15日の消印に間に合った。心ひそかに毎日ポストの中身を楽しみにしていた。半分諦めていた頃、三重県に応募したきみの背表紙が佳作になったと通知が来た。今年はとてもうれしい。このところ詩を書くことがとても難しく思えている。何かが自分の中で中途半端なんだろう。生活の狭い枠の中でのことでしか視点が広がらないことが歯痒く思う。今までと違う書き方をしたいと試みている。そして長年の自分のポリシーを裏切った。障害っていうことを表に出さないようにしてきたのだが、今回は差別・共有・自分の障害っていう事をテーマに書いてしまった。この裏切りを乗り越えられるかどうかが結果に出ると思う。背景の障害を出したことは、卑怯なことだ。その反面、長い年月生きてきた中でどうしてもぬぐえないことでもある。ものを書くってことは皆平等だと思うが、やはりアイデンティティは違うと思う。
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梅雨の合間 
2007/06/29 /23:46
私がまだちっちゃい頃、ある時間が来るとラジオを聴いていた。祖母と一緒にラジオを聴いた。ラジオから流れるアナウンサーの声は何々港から何々港に着いた男性の名前ばかりだった。祖母は毎日毎日そのラジオを聴き、割烹着の裾で目をふいていた。
その頃の私は何も知らなかった。祖母が息子の帰国を待っていたとは。
それから数年が経ち、祖母は次男の住む神戸の街へ移り住んで行った。まだ戦争の影がくっきり残っていた時であった。
私は今、祖母の歳に近くなっている。時代背景や町並みは違ってはいても、生活を人の哀しみに濡れるのは嫌だ。夕暮れの散歩道をゆっくり通りすがりの人と挨拶ができる。猫や犬たちとも語り合える。そういうふうに暮らしたい。そう思いながら時計の針は速く進む。テレビの画面に映る国を動かす人達も、焦っているのだろうか。変に子ども返りしてお互いののしり合っている人達としか見えないのは私の錯覚だろうか。
F1090321.jpg

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嘆き 
2007/03/15 /13:17
2007.03.08 木曜日


あたしはいつもの睡眠剤を飲んで、1時間半後燃えるような体温で目が覚める。しかも、たった1時間半の間である。あたしの体全身の汗腺が涙腺となってあたしは泣いていた。
 昨日、病院で宣告を受けた。頸椎の一番目の神経が死んでいる、という。このまま手術をしないと、どんどんしびれと傷みで耐えられなくなるという。だから医者は弱みをついて手術しようと誘惑をする。手術を嫌がっている患者は、1年後には寝たきりで動けなくなるという。
でも、あたしは昔の手術した時のつらさは、術後6年経ってやっと心が少し元気になり4年経ったところだ。だけど医者は「僕の手が動いている間の方がいいと思う。」という。
しかしあたしはすぐに決める事ができない。もし第一関節を固定すると、しびれや痛みは緩和されるかもしれないが、それは決して確実な事ではない。術後のデメリットを考えると即答で返事はできなかった。その前に医者の悩みを聞き、不安を聞いていると、診察室を出る時に、反対にあたしの方がドクターに「お大事に」っていう言葉を発する。

あたしがドクターの言う通り、1年で身動きできなくなったとしても、その事を思い泣いている暇もない。生活を送るためには、次々としがらみがあたしをがんじがらめにする。

あたしは親を捨てた。兄弟も捨てた。母とは三度の別れをし、兄は兄の遺骨を不本意ながらもあたしに預けた。養父は自分の妻と義理の息子が同じ墓に入ってくのはすごく反対をした。その時の住職の機転で何とか解決したが、きっと今も自分の入る場所がないと養父は心の中で思っているだろう。しかし、その住職は養父に墓を開けさせ、骨壺から母と兄の骨を出し、それに水をまき、養父にかき混ぜる事を命じた。権力に弱い養父はしぶしぶそれに従い、自宅に帰っていった。それを一部始終見ていたあたしは、まるで喜劇を見ているような錯覚にとらわれ、養父の車が去ったあと笑い転げてしまった。しかも、住職のコメントは「骨は水によって溶けるのであと何人でも入れるよ。」と言ってた。「そうかあ、じゃあ骨壺っていうのは、骨が土に還るって事を阻止しているだけなんだ。」と思った。その時の兄の遺骨はうっすらと紅色をしていた。それを墓の中で自分の手で混ぜている養父の上に、桜の花びらが飛んできていた。坂口安吾の小説そのものの鬼気感を頭に描きながらも、笑いを噛み締めることはできなかった。そして泣くこともできなかった。それは今も続いている。今から目から出る水分が、家から出て約30年、あたしは泣く事を拒否した。どんな苦しいときも、人の裏切りにあった事も、決して涙を出して人に訴える事はなかった。人間の関係を上手く作れなかった.自分の責任だと思っていた。だけども、この1、2年体中が泣いている。細胞の一つ一つから涙を出している。でも目からは一滴の涙も出ない。アンバランスな精神状態なのかもしれない。もしこのまま主治医の言う通りに1年後には寝つくようになるのなら、その後の事を考えなければならぬ。めそめそ泣いている場合じゃない。次の階段を降りて新しい生活を築いていかなければならぬ。そして、動ける間に楽しみを壊すことなく、自由に生きていきたいと思う。1番目の頸椎が死んだとしてもその後の6個の関節は固定しているわけだから、その分生きていかなくてはもったいない。今の肉体的な痛みよりもこれから先、年々大きくなってくる痛みは確実なのだ。自分で出来る事をもっとわがままに主張しないと、詩の一つも創れなくなるのは寂しい。その分周りの人間関係にどう自分の立場を表現していくのかが大きな課題になっていくのだろう。本来のあたしの姿に戻らなければならない。事務仕事は嫌。役所の交渉も嫌。人と会うのも嫌。

しかし、それらの義務を事細かく真剣につき合わなければ今のあたしの生活はない。だから、あたしは夜中に全身で泣く。
泣いて泣いてまた着替えてさっぱりと何事もない顔をして、日常の1ページをめくる。
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Author:yamagirimoe
田舎の小都会に猫3匹と多人数の出入りする借家に暮らす。スローライフの日だまり。




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